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Blog 引越のお知らせ

この STRATEGIA 引越です。

移転先はこちら 澁谷城太郎 STRATEGIA*

元に居た excite にデモドリです。

ブックマークなどしていただいております、
奇特な読者マイノリティがいらっしゃいましたら、
諸処登録など誠にお手数おかけします。

内容の全部は移転先にエクスポートしましたが、
一部はバケバケで御座います。
ご了承ください。

思えばこういったメディアのほぼ黎明期からの Blog でもあり、
履歴を回顧すれば、
おっとズルズルの長さです。

引き続き ご愛顧くださりますよう、
何卒 宜しくお願い申し上げ奉りまする。

作文の設計図

夏休みだ。

むろんボクのぢゃなくて〜うちのコムスメ(10)の夏休みにつき。

その多くを母君の指導により例年7月の内には宿題を終えているようですが、
ワタシの担当は自由研究と読書感想文。

元日本近代文学史の城(←シロではなくってワタシの名ね)との異名をとった、
自称文学少年でしたもので。
本日は感想文のお話。

すなわち 数日前より例年吉例は作文指導に従事の巻というお知らせです。

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当家では、
読後その感想文を書き始める前にするべきことを規定している。

それは地図づくり。

大きめの紙を用意して、
ひとつは空間の地図を描く。
地理的な情報ですね。
登場人物の相関関係を書き起こす。
場所と場所や人物などの関わりあいをひもとき図示する。

もうひとつは時間の地図。
読む本にもよりますが、
歴史年表のようなチャートになります。
わずかな期間を題材とした小説もあれば、
生涯や世代を渡る物語もある。
時間軸と起承転結で出来事をひもとく巻物のような地図。

この二種の概念的な地図をつくったら、
そこに読み手(コムスメ)が感じ取った感情(喜怒哀楽)や感覚(五感)を、
アイコンにしてプロットしていく。

既に本は付箋紙だらけのようですが〜とまあこんな感じで進めます。

手書きのイラストを織り交ぜながら、
よりビジュアルなプレゼンテーションに仕立てる。

感想文は宿題にして枚数が定められているため、
その内の構成(これも起承転結)を定めつつ。

さあ いよいよ 書きつづるべし。

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ワタシは創造の方法を提供する。
方法/戦術/施策。

言い換えると それは感想文という表現を設計するための方策か。

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小五にもなり、
すこしは社会的なモチーフをとの本人志向もあって、
今年の図書は、
イスラエルとパレスチナ間で文通する子どもどうしがやがて結婚出産し〜な本。

タイトル忘れたw

空間の地図は両国間15km圏を描き、
時間の地図はふたりの生涯(とその前後世代)の尺度。

そして昨夜に途中チェックでのぞきこむと・・・
なかなか能く描けてきました。

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これはブランディングにしても、
ミュージアムデザインにしても。
自らにインプットした情報を構造的に解釈し、
ビジュアライズすることで、
コンテンツの全体像とディティールを把握すること。
そこから浮き彫りになる主題を捉えること。

正解としての普遍的なデザインに辿り着くための道筋を見出すために、
執り行うクリエイティブのあるべきプロセスなんです。

日々そうやってシゴトをしているわけで(ボクの話)。

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こういった創造の方法はとても汎用的にして、
どうのような表現にも適用できるものです。

表現は最終的にアウトプットとして立ち現れますが、
そこに至るプロセスが全てであって、
そのプロセスを如何にクリエイティブに歩むか?が肝要なのぢゃ。

さすれば必ず良いクリエイティブが結晶結実する。

人は頭の中で思案しますし、
それを頭の中で済ませてしまうことは可能(ふだんそうしてる)なんですが、
想い考えたことをいったん全て(このすべてが☆)カラダの外に出すことが大切なんです。

作文の場合それを設計図のように描きだし、
それを客観的な自身(上述の場合うちのコムスメ)が、
眼で見てあらためて捉え直すプロセスを重んじる。

頭の外と内とのセルフフィードバックだな。

地図を眼で見ると、
捉えられていない(描き出されていない)ことが一目瞭然なんです。
やがて加筆された地図は重層的になり。

するとですよ、
そろそろ感想文を書いてもよい頃合いになってきたーと、
地図が知らせてくれるのだ。

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読書はむろん文字を読むんですが、
そこに広がっている物語世界は空間でしょ。
空間の認識を意識して描くこと。

これが感想文を書くための準備です。
クリエイティブするための道具を独自に自前でつくる。
満を持してやっとクリエイティブを始める。
むやみにさっさと始めてはいけない。

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大げさに聞こえましたかもーですが、
だからといってコムスメ、
それはそれは立派な感想文ができるかっつーと?? そりゃどーでしょうかね。
まあ期待しましょ。

しかしながらこの多元的な地図づくり〜とっても楽しいですよ。



某コンペティション惜敗の赤裸々

出羽三山を彼方に望む羽州の地。
某ミュージアム(実質的には郷土資料館)のコンペティションに惜敗した。

公示からの超短期に加え高難易度に、
指名6社中の3社は辞退。

このシゴト、
ずいぶん長くしておりますと、
こういったコンペティションの指針となる仕様書の、
一語一句から様々なコトが読み取れる。
読み取るところからシゴトは始まるわけなのだ。

諸般の事情やら思惑に経緯など。

そして戦略を立て臨むわけですが、
どう鑑みても勝ち目のなさそな勝負を、
それでも受けたのには理由がある。

1 地元建設会社から(人伝ではあるけど)の、
  直接なオファーだったこと(つまり大手展示会社ではないっつーことよ)。
2 その人伝のヒトがとても恩義のある方だったこと。
3 私自身が元来コンペティション好きであること。

以上の事由。

有り得ない条件の元で競うということは、
つまりは出来ないでしょ?と言われていることと同義でもあって、
そりゃ中小の建設会社に描けませんよ。
情報環境を施設空間化するミュージアムデザインは。

これはジカンとオカネの問題ではないのだ。

そして元来と書いたのは、
ジャイアンツとか体制とかにそもそもアンチな気質であるワタシ、
常に挑みたいんでしょうねと自己分析。

そうはいっても逆転満塁ホームランってあるんですよ。
それを少なからず全国で打ってきたことの過信でしょうか。

僕らクリエイティブは、
アスリートやミュージシャンと異なり、
試合とか本番とかがないでしょ。
その意味でコンペティションはまさに稀有な勝負の機会なんです。

挑みへのエクスタシー。
難易度が高いほど余計に燃えるわけなのだ。

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んで今回。

僕らのプレゼンテーションの順は三社目で、
直前社の退出を見ると敵じゃなし。
もう容姿でわかります。

するとやはりは一騎打ちか。

結果は僅差2点差での惨敗でした。
審査は最後まで相当にもつれたとのこと。

惜しい!

勝たなきゃ意味ありませんが、
よくぞ追い詰めた。

いつものこと(ってこういったシゴトがいつもとは特殊な専門スキル)ですが、
つくづくよい案だったなーボクらの案(自画自賛)は。

打球は真芯を捉えたし、
スイングは思い切り振りぬけた。
バックスクリーン上空からの逆風で、
フェンス際ギリギリでホームランならず〜でした。

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日◯◯◯◯◯館など、
大手展示会社と競合した際も、
大概の場合、
クリエイティブは最高評価でしたよ〜などと、
事後に内部から慰めをいただくこと多々でして。

まあイタシカタナイことであります。

悔いはなし さっぱり 次のミッションに挑むのみ。

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ただですね。

今回、
オファーいただいた地元の方々など、
共にプレゼンテーションに臨み、
美味しいサクランボなどをいただき、
とても楽しく取り組めました。

彼の地とオッサン連中は麗しいかぎりです。

中でも恩人より、
シブヤさんのプレゼンテーション感動したっ!
とお手紙いただいたことは救いにして大きな励みで御座います。

残念でしたが よい試合をした。

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しまった グランドの土 持って帰るの忘れたわ。




世田谷区基本構想審議会に参画したこと

どちらかというと、
付け足すように記した文末の、
世田谷区基本構想審議会への参画がこのポストの主旨であります。

まるで自らのシゴトをオーディエンス側から体験するという、
稀有な機会にもなり(後述)、
たいへん考えさせられました。

の雑感。

前段はのんきな旅日記です~あしからず。

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いろいろと、
その佇まいと言動から風評にして曲解されてはいるものの、
こう見えてワタシのシゴトは(少なからず)地域に尽くしてきた働きでもある。

流氷のオホーツクから八重山の離島まで。

現れてしばらくすると、
見た目ほど裏表がなく(ワタシのこと)、
聴いてみれば勘ぐったよりは実直なコトを云うと、
やがて心を開いてくださる地域な人々には、
彼の地でシゴトをするといった稀有な機会をいただいてきた。

そしてそれぞれの地域には達人がいる。
必ず居る。

場所に根ざし信条を定め、
決して揺るぐことのない人物が在るものだ。
どんな地域にも。

その出会いは有り難く。
こういった特殊なシゴトをしている所以の産物でもあり、
代えがたい恩恵である。

そんでもってワタシは、
通行する旅客と、
地域住民の間くらいの帯を活動している。

目に出来ないことを観るし、
触れ得ないことを体験することが、
地域を識ることなのだ。
つまりは会えない方々に逢うことをシゴトとしている。

元来のミュージアムデザインも、
都市開発も、
いわゆるブランディングも。

記憶を記録し新たな想起を育むためのプロジェクトデザインとは、
そんなシゴトなんです。

地域は愉しい。
売っていないものを食する機会に恵まれるとか(とまた瑣末な話に)。

食いしん坊的には、
ここ強調しておきたいところだが、
そんな話題はまた今度。

ヨソ者が現れ、
地域に踏み込むには、
こちらが先に開く必要がある。

いいや。
開くとか閉じるとかいった機能がそもそも無いことが望ましい。

とはいえ、
そもそもに同化を求められているわけではなく、
客観的な第三者がゆえに見出すことのできる固有の資源や、
新たな可能性を掘り起こすことが僕らのミッションなのだ。

それは井戸を掘ることに似ている。

価値創造(のためのシャーマン もしくはカタリスト)。

ちなみにこの「井戸~」のアナロジーは、
日本のエコツーリズムの支柱 吉兼先生(阪南大教授)の言葉である。

旅人稼業なワタシは、
壮子がその昔に宣ったとされる、
人間の知恵は移動した距離に比例する~(超意訳)に、
励まされてシゴトをしている。

つくづく旅は好い。

サクランボ 万歳(本日の雑感~そんなオチかい)。

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と上述は、
山形よりの帰路に書いてデスクトップの隅にあった記事。

んで続きを足すことに。

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昨日の土曜日に、
世田谷区基本構想審議会に参画した。

無作為に抽出された区民によるワーウショップなのだが、
その参加を募る報せが来たとき、
我ながらビックリしたことをよく覚えている。

それはほとんぼ従来のワタシのシゴトと同様だったからだ。

ブランドも、
企業の事業戦略も、
都市や地域も。

基本構想という大きなロードマップを描くことに全ては始まる。

これはたいへんなシゴトであるわけだが。
その前に、
それらを進めるためのスキーム「プロジェクトデザイン」が必要なのだ。

如何にしてそのプロジェクトを形勢するか?
ここにプロジェクトの全てはかかっている。

そう世田谷区でした。

区政史上初と区長の語る、
オープンソースなワールドカフェの開催は、
実に様々な多面的な意味でよかった。

医者のいうインフォームド・コンセントとか、
スパコンのグリッド・コンピューティングとか、

ソーシャル・ネットワークとか、
つまるところのシェアとか創発とか。

そういった方法から未来の在り方を探り出ししつつありますよね、
世界は。

社会関係資本という概念を聞いてこのかた、
早10年くらいは過ぎたでしょうか。

自分の住む街がこういったオープンソースな自治(の模索)に踏み込んだことに、
素直に感慨深く、
これは小さいけれど大きな革新ですよと言い添えたい。

大小様々なプロジェクトデザインを手がけてきた経験から、
この世田谷区の取り組みが一朝一夕に簡単なことではないことを、
想像するに難くない。

子育てもそうですよね。

自律的な創造性を育むには、
はじめに信頼ありきでしょ。

よくぞ開いた世田谷区。

オープンソース万歳!

トーマス ワカラナイよ!

感想を~とお題をいただいたテライさんは、
当時駆け出しのワタシ在籍某社な縁。
謎の東洋人(でしたっけ?)との異名も。
社内でもあまり知られてはいませんでしたが、
あちらで音楽だしてるような方。

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トーマス ワカラナイよ! トーマス・デマンド展 @東京都現代美術館


ボトルシップという趣味がありますね。

あれずっとわからないんです。

なにがわからないかっていうと、
そのモチベーション?がわからないという言い方最も近く思える。

その創作に挑むにあたって、
自身の内から湧き上がってくるであろうモチベーションという意味で。

ボクの場合は少なからず、
何らかのモチベーションが喚起され、
創作の前提として形勢されるわけでして。
そしてこのモチベーションは足し算的に順当にやってくる。
つまりは可逆的には起こらないということ。

まあワタシごときになぞらえちゃあいけませんね。


ボトルシップです。

帆船の精緻な模型を造るという動機はわかる。

たいへん精密さを探求する嗜好の趣味であり、
そのプロセスをゆっくりと堪能しながら、
やがてその全容の完成をみる贅沢な大人の時間の費やし方だ。

凡人のワタシなぞ、
この帆船を造る~でお腹いっぱいである(っつーかそれすらムリめ)。

ところがボトルシップの場合、
言わずもがな帆船~以前にボトルがある。
ボトルの内部に帆船を~となれば、
それはまず帆船に先んじてボトルがあるのである。

口は帆船を通すにはあまりに狭く(むろんのこと)、
黙ってガラスのボトルを置くことにすべては始まる。

ボトルに始まるボトルシップは、
そもそも、
創作を封じ込めるという前提を自らに(事前に)課している。

わからん。

創作したなにかを事後に封じ込めることを理解するのは容易い。

封じ込めたくなるのは、
創作が完成したからこそであって、
大概の場合は斯様に時間は進むものだ。

しかしながら、
ボトルありきのシップ造りへの挑みといった、
封じ込めが先立つ創作へのモチベーションが、
ワタシには理解できない。

足し算すら学んでない内に、
割り算を教わるようなものであろうか。

もうチンプンカンプンだ。

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んでやっと本題は、
トーマス・デマンドの作品(とその創作プロセス)。
さながら摩訶不思議に過ぎるボトルシップをみたかのような幻覚にさいなまれた。

厳密な封じ込めを前提にその創作は企図されている。

それは、
ニュースソースからインパイアされたモチーフに始まり。
その場面が紙で模型化されることに徹底され、
そしてそれがライティングをほどこされ写真に撮られて完成する傍ら、
肝心の模型はあとかたもなく壊され消却されるという。

創作は二重三重に封じ込められていく。

興味深いのは、
全てが環境=空間の再現として封じ込められていること。
空間を空間で封じ込めていくこと。

映像というメディアは、
一旦記録されると、
時間を巻き戻してみることが可能だ。

空間というメディアを記録して、
それを巻き戻してみることは可能だろうか?

いいや空間は時間ではない(?)し、
なにを巻き戻すんだろう。

しかしながら彼の創作する空間を目前にすると、
ちょっと前に起こっていたであろう何事かが、
想起されるのだ。

事件の匂いがそこに漂って在る。

模型(の写真)なのに?

ニュースを封じ込めているのは、
模型にして写真であって、
それをみているこの美術館空間であって、
そのまた私の両目である。

なんだかクラインの壺のようだ。

ひょっとするとボトルシップは反転し、
あちらが世界で、
封じ込められているのはワタシの方かしら、
とか。

ですから トーマス・デマンド。

ワカラナイんですよ。
難解なという意味のワカラナイではなくって。

こんなに撹乱される体験が希少だという意味において。



おまけ

文学にあったかな?


Appendix

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JTRSBY

Author:JTRSBY
渋谷城太郎 JOTARO Shibuya
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